大学卒採用
柴田 哲志
総合職
流通営業部
1997年入社 経営学部卒
- 1997年
- 狭山梱包センター営業所(海外事業部)
- 1993年
- 横浜営業所 輸入通関業務
- 2003年
- 海外人事課 北米NK Parts Industriesで研修
- 2005年
- NK Parts Industries出向
- 2011年
- 狭山営業所 課長
- 2014年
- 児玉営業所 所長
- 2020年
- 流通営業部営業二課 課長
- 2021年
- 流通営業部 部長
物流会社の使命は物流のみにあらず
ものづくりの根幹から関わる
ユニークな業態
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入社〜5年目
学生時代からの縁で入社1年目から
大型プロジェクトに従事両親が仕事の関係で米国に住んでいたことから、大学はオハイオ州立大学に行きました。たまたまなのですがそこに日本梱包運輸倉庫の現地法人NKPがあり、就職の時期に見学に行ったのが日本梱包運輸倉庫との縁の始まりです。製造業界もしくはそれと切っても切れない物流業界の二つが私の就職希望先でしたので、日本梱包運輸倉庫を受けました。
入社後海外事業部に配属され、梱包の研修をし、その後日本梱包運輸倉庫の中心拠点でもある狭山営業所に1年勤務。本来は研修期間だったのですが、そこであるサービスソリューション開発プロジェクトに従事しました。そのプロジェクトは現在も続いていますが、自分が手がけたものが今でも稼働しているのはうれしいですね。 -
6〜7年目
海外研修1期生として米国へ
製造と物流の融合する世界へ6年目にかつて見学に行ったオハイオのNKPで1年間海外研修をしたのですが、日本梱包運輸倉庫はこの年から海外研修を始めており、私は1期生ということになります。言葉も土地勘にも問題はなく、不安はありませんでした。ここで自動車部品、トランスミッションの組立てのサポートに入りました。エンジン部品ですからミリではなくミクロン単位の精度が要求され、部品点数も数百もあるため管理も大変ですが、もともと製造に興味がありましたから、とても楽しかった。物流というと物の管理と輸送というイメージですが、実際にはこのような製造作業に深く関わる業務もあるのです。ものづくりから関われるのが日本梱包運輸倉庫の魅力の一つでもありますね。
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8〜14年目
最も楽しかった7年間のオハイオ経験
そこで得た作業者目線の重要さ7年目に日本梱包運輸倉庫の関連会社である浜松のオートテクニックジャパン(ATJ)でミッション組立作業を1年間研修しました。そして翌年、指名されて再びNKPで働くことになりました。この異動では、組立て、検査工程、ライン設備管理さらには新規ラインの導入まで担当しました。コンベアも移設機もデザインをはじめすべて自分で行いました。もちろん失敗もありましたが、その中で作業者目線の重要さを学びました。自分の目線じゃなく作業者にとって安全かどうか。これは今でも大きな教訓になっています。一般的な「物流」のイメージとは違いますが、この頃が自分にとって一番楽しかった時期かもしれません。
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15年目〜
苦しい経験の中で培った仲間との絆
コミュニケーション環境づくりに腐心15年目に狭山梱包センターの所長代理になり、17年目には狭山営業所の業務垂直立ち上げの対応でコールセンターを受け持ったのですが、これが大変でした。携帯を3台持っていたのですが、それが一斉に鳴るのです。苦情や問い合わせが1日中続きました。仕事人生の中で最もきつい経験でしたが、得るもの多かった。全国規模の対応でしたので各地の同僚、仲間との絆が非常に深まり、大きな収穫となりました。後に課長となり、営業所の1拠点の管理を任されました。
20年目にスタッフ150人ほどの児玉営業所の所長を務めました。この時に考えたのはコミュニケーションの徹底です。150人全員の顔と名前を一致させるところから始めました。問題があれば向こうから所長のところにやってくるような環境づくりを心がけました。
これまでの
キャリアを
振り返って
仕事を楽しみながらステップアップ。日本梱包運輸倉庫は
求めれば応えてくれる会社です。
私は管理の立場になってもプレイングマネージャーを心がけています。管理職に必要なものは豊富な知識とチャレンジ精神、そして統率力と判断力。でも分からないことは分からないのですから、その時は一緒に課題に取り組みます。
24年間変わらないのは、仕事を楽しむという姿勢でしょうか。どんな仕事にも一つでいいので楽しみを見つけること。そしてトラブルが起きた時、絶対他人のせいにしないこと。自分の問題として考えることがステップアップにつながっていくと思います。
日本梱包運輸倉庫は、自分から求めればそれに応えてくれる会社です。求めなければ何も得られない。それは自分のこれまでの経験から強く感じています。
